「足立区議員の性的マイノリティに対する発言の何が問題視されているのか」、ちょっと考える

いざなわんです。最近ホットな話題として、某足立区議員の性的マイノリティの方に対する発言があります。記者さんの書かれている記事(https://mainichi.jp/articles/20201007/k00/00m/040/115000c)も読んだんですが、もう少し手前で考えてみる必要がありそうだということで、僕も記事を書くことにしました。

 

内容については以下の通りです。

1.性的マイノリティは広がるのか

2.性的マイノリティを認めることが少子化につながるのか

3.性的マイノリティをなぜ許容していくべきなのか

 

1.性的マイノリティは広がるのか

 某議員は、性的マイノリティが広がっていくことを懸念する発言をしていましたが、そもそも広がるのか?ということについてちょっと考えてみますね。

 結論から言うと、広がる性質のものではない、と考えられます。異性愛者の立場から考えてみると、異性を愛するのは誰に強要されたわけでもなく、自然な感情の発露ですよね。異性愛者は人間という種の繁殖の観点からすればマジョリティであるはずで、生まれたときから自然に異性を愛するわけです。ここで、マイノリティである性的マイノリティの方々は、生まれたときから自然に同性を愛したりするんですね。つまり、私見ですが、本来的には異性愛者か同性愛者は先天的なものであって、他者に広がっていくものではないのではないか、と考えることができます。

 ただし、自身を異性愛者と思っていた人が、同性愛者や同性愛というものの存在と出会って、実は同性愛者であったとか、両性愛者であったと気づくことはあり得ます。つまり、それまでに自分が異性愛者だと思っていたのは、周囲の常識が異性愛であって、自分も当然そうなのだと思い込んでいた場合です。その他にもあるかもしれませんし、同性愛者は自然と違和感を覚えるもので、他者との関わりで気づくことは無いということもあるかもしれませんが、私自身が異性愛者で、同性愛者のリアルを知らないため、多様な可能性を排除しない方向で話を進めていこうと思います。ありうる可能性の一例として考えてみてください。

 要するに、性的マイノリティというのは、生来のもので、後天的に広がるものではないというのが、私の考えです。増えてきたように、広がったように見えるのは、今まで隠してきた人が隠さずにありのままの自分として生きていこうとした結果であって、個人的な性癖として広がったとか、ましてや感染する病気の類であるとか、そのような話では決してないはずです。某議員は、私の見解とは異なる見解に立っているように見受けられます。

 

2.性的マイノリティを認めることが少子化につながるのか

 では、性的マイノリティを認め、法的保護をすることが、少子化につながるのでしょうか。ちょっと考えてみます。

 先述の通り、性的マイノリティというのは、後天的に広がっていくものではないので、これを認めて法的に保護したところで、異性愛者が性交渉をし、出産をするといった数が減るという関係にはありません。仮に減るのだとしたら、本来異性愛者でない方が異性との性交渉を事実上強いられていたことになります。性的自由については、最近刑法が改正されて男女問わずその刑法上の保護を受けることになったことからもうかがわれる通り、法律上の保護を受けるものであって、これを侵害する形で出生率の向上を確保することは許されないと言わなければなりません。また、性的マイノリティであっても、身体的に男性の方が機関に精子を提供し、身体的に女性の方がその提供を受けることで出産をするという選択をすることもあり得ます。

 すると、むしろ、性的マイノリティを認め、その子を持つという選択をしやすくできるように支援することが、少子化の歯止めにつながるとすらいえます。ここで注意しなければならないのは、少子化だからといって産むことを強要することは、リプロダクティブ権の侵害に当たり、許されないということです。直接的な強要だけでなく、同調圧力をもって間接的に強要することも生じないようにしなければなりません。やるべきなのは、自然に子どもを持ちたいと、あらゆる家庭が思えるような社会を実現することです。リプロダクティブ権については、旧優生保護法についての地裁レベルの判決(仙台地裁令和元年5月28日、判時2413=2414号3頁、判タ1461号153頁)が出ていますので、気になって時間がある方はお読みになってみると参考になると思います。

 したがいまして、人権侵害を公然と認めるという立場に立たない限りは、性的マイノリティを認めることは少子化にはつながらない、というのが私のちょっと考えてみた見解です。某議員は、異なる見解に立っているようですね。

 

3.性的マイノリティをなぜ許容していくべきなのか

 もうすでに少し書いていますが、ここまで考えてみると性的マイノリティを許容していくべき理由も見えてきます。そもそも「許容」という表現も不適切ですが、許容できない方も一定数おられるので、あえて使うことといたします。

 まずもって、自身が性的にマジョリティかマイノリティかは、自分の意思で選択できるものではないです。そのような方に、「お前はマイノリティだからマジョリティに合わせろ!」というのは無理があります。異性愛者で、性的マイノリティを許容できないと考えている方は、仮に同性愛がマジョリティで、同性愛者であることを求められたらどう思うかを考えてみてください。多分一瞬で理解できたのではないでしょうか。また、自分の知らない人が困っていると言われてもいまいち実感がわかないという方は、もしご自身の友人が、兄弟姉妹が、実は性的マイノリティで苦しんでいたら、ということを考えてみると、これを排斥しようとは思わないのではないでしょうか。

 つまり、性的マイノリティの方々は、マジョリティがいるのと同じように同じ世界に存在している、同じ人間なので、その存在を否定したり、不利益に扱われることをやむを得ないことと切って捨てるのではなく、みんなが幸せになれる社会ってどうすれば実現できるだろう?と考えてみることこそが大切なわけですね。

 

4.最後に

 以上から分かる通り、私個人は某議員に賛同するものではありません。某議員の発言は、時代の流れに合っていない発言と思います。ただ、高齢であらせられるので、今からその価値観を変更せよと求めるのも酷ですし、そもそも人の価値観は無理やり変えさせるべきものでもありません。公の立場の方なので、その発言について政治的批判は受けて然るべきですが。私は足立区民ではないので選挙でもって意思表示することはできませんが、今回の足立区の件に限らず、日本では(海外の事情は詳しくないので日本に限定します)、高齢の政治家が古い価値観を維持しようとしている場面が目立ちます。私が好きなアニメ作品の有名なセリフが刺さっていると思いますので、その引用をもって今回の記事は終わりにしたいと思います。読んでくださった方の思考のきっかけになれれば幸いです。

「新しい時代を創るのは老人ではない」クワトロ・バジーナ大尉 機動戦士Zガンダムより